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赤い靴はいた女の子。
異人さんに連れられて行っちゃった。

横浜の山下公園に海を見つめて膝を抱えている女の子の銅像があります。
横浜の波止場から外国へ。
そう思っていました。

北海道旅行で立ち寄った留寿都村。
そこは赤い靴の女の子のゆかりの地でした。
なんで?北海道で??




1902年、岩崎かよさんが静岡県の現在の清水市で一人の女の子を産みました。
その子はきみちゃん。「赤い靴の女の子」です。
私生児だったため風当たりが強く、
かよさんはきみちゃんを連れて逃げるように函館へ移りました。

かよさんは鈴木志郎さんと再婚。
現在の留寿都村の開拓農場に入植しました。
でも、きみちゃんは結核に冒されていて体が弱く一緒に入植するのは無理だったので
函館の教会の牧師ヒュイット夫妻の養女に出されました。

かよさんと志郎さんの間に長女が誕生しました。
まもなく農場は閉鎖され、一家は札幌に移りました。
そして志郎さんは新聞社に入社。
同じ頃に入社した野口雨情さんと仲良くなります。
家族ぐるみの付き合いをする中、
かよさんは雨情さんにきみちゃんの話をしました。

「きっときみちゃんは幸せに暮らしているに違いない」
雨情さんはそんな思いを抱いて「赤い靴はいた女の子」の詩を作りました。

その頃、ヒュイット夫妻にアメリカから帰国命令が出されました。
きみちゃんは体の衰弱が激しく長旅は無理と判断され、
「体が治ったらアメリカにおいで」と東京麻布十番の教会(現在の鳥居坂教会)に預けられました。
ヒュイット夫妻は横浜港からアメリカへ帰国。

1913年、かよさんと志郎さんの間に女の子・そのちゃん(結婚して岡そのさんに)が誕生しました。

1973年、岡そのさんが、
「雨情さんの赤い靴の女の子は会ったことがない私の姉です。消息を調べてください」
と、北海道新聞に投書しました。
北海道テレビの記者が消息を調査して、その結果を本にしました。

調査の結果、きみちゃんは3年間の闘病生活の末、
麻布十番の教会(当時は孤児院)で亡くなっていました。
9歳2ヶ月の生涯でした。
きみちゃんは鳥居坂教会の共同墓地に眠っています。
墓石名は実父の苗字で「佐野きみ」となっているそうです。
母・かよさんはきみちゃんがアメリカで幸せに暮らしていると信じたまま
「きみちゃんごめんね」の言葉を残して64歳で亡くなりました。

留寿都村には赤い靴公園があってきみちゃんの銅像があります。
少し離れたところにお母さんの銅像もあります。
そして、この2つの銅像は離れているのですが、
その視線が合うように立てられているそうです。
そして清水市にはきみちゃんとかよさんが手を取り合っている母子像があります。

こんな悲話だったんですね・・・。

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