あまり食べることは出来なかったけど、
ビールはたくさん飲んだような。
バスで小樽地ビール(写真撮る間もなく飲み干したという)
それから限定ビール。
そして、牛乳&コーヒー牛乳。
甘いコーヒー牛乳を想像していたけど、カフェオレのように濃厚でした。
富良野ビールは前回飲んだので今回はラベンダーラムネ。
持ち帰ってきました。
最近発売になったという旭山動物園のがちゃがちゃ。
最初の頃はオークションで高値がついたらしいけど、1回300円。
5種類+1種類だったかな??
3回やって私がペンギン2個、夫がアムールトラ。
バスに戻ると同年代の夫婦が「(5回やって)オランウータン3個もあるよ~」
と言ってたのでペンギンと交換してもらいました。
夫の会社や親戚に買うお土産。
悩みました~~~。
最近はデパートだけでなくスーパーでも物産展をやり、
いろんなものが出かけなくても、取り寄せなくても買えるようになってきてます。
普段は嬉しいけど、こういうとき困るのよねぇ。
昨年9月にオープンしたラゾーナ川崎。
夫がこの中の店舗トラベルカフェの設備設計をしました。
超巨大なこのショッピングセンター。
工事中のときも仕事人の迷子が多かったそうです。
ぶらぶらしていると行列を発見。
列をたどって先頭に言ってみると、夫が関わったお店でした。
なんで行列していたかというと・・・
大阪発の堂島ロールを売っていたから。ついに関東デビューです。
今度、買ってみよっと♪
暑かったので昼食は盛岡発のぴょんぴょん舎で大好きな冷麺。
これも銀座に次ぐ関東デビューです。
お取り寄せじゃなく食べるのは久しぶり~♪
食べ終わって歩き出すと・・・
おぉっ!
コールドストーンクリーマリーがあるではないですか。
しかも珍しく10人くらいしか並んでないし。
じゃあ、デザート行っちゃいますか!ということで1番小さいサイズを注文。
(小さいので十分です)
天気が良くて、吹き抜ける風が気持ちよくて・・・
中庭のベンチでボーっとしたりして

のんびり過ごした1日でした。
初・函館でございます。
まずはこれを見なくっちゃね、ということで。
左が函館湾、右が津軽海峡。
1番くびれたところは距離にして1kmだそうです。
で、早起きして朝市に行きました。
ホテルの朝食をキャンセルして朝市ご飯♪
やっと海鮮食べられたね~美味しいね~安いね~と言いながらぱくぱく。
これで1500円です。
五稜郭にも行ったよ。
前日に五稜郭の桜開花宣言が出たばかり。
元町散策もしたけど・・・曇りのせいかものすごく寒かった!!
手袋、マフラー欲しかった。。。
石川啄木が初めて赴任した小学校がまだ健在でした。
もっとゆっくり見たかったな。
大沼公園。
寒さがピーク!船に乗る気も起きず・・・。
昼食はジンギスカンに地ビール

トラピスチヌ修道院についたら晴れてきました。
現在も60数名の修道女さんが暮らしています。
消灯は19時半、起床は3時。
世間と接触しないため一般人と会っても微笑むだけで会話はしません。
手前が司祭館、中央丸い部分が礼拝所、
その向こうに並ぶ7つの窓は病室だそうです。
乗りたかったなぁ、モーモータクシー。
運転手さんのネクタイもピンクのモーモー柄でした・笑
函館土産はスナッフルズのチーズオムレット&チョコレートケーキ。
添乗員さんとは空港でお別れ

「これから電車で札幌の自宅に帰ります・・・着くのは夜中になりそうです

と言ってました。大変ですね。。。
空の上はきれいな夕焼け。
1時間半のフライト。予定通りに羽田に戻りました。
帰りは高速バスで最寄り駅まで

湾岸線の渋滞もなく40分で着きました。速かった~~。
赤い靴はいた女の子。
異人さんに連れられて行っちゃった。
横浜の山下公園に海を見つめて膝を抱えている女の子の銅像があります。
横浜の波止場から外国へ。
そう思っていました。
北海道旅行で立ち寄った留寿都村。
そこは赤い靴の女の子のゆかりの地でした。
なんで?北海道で??
1902年、岩崎かよさんが静岡県の現在の清水市で一人の女の子を産みました。
その子はきみちゃん。「赤い靴の女の子」です。
私生児だったため風当たりが強く、
かよさんはきみちゃんを連れて逃げるように函館へ移りました。
かよさんは鈴木志郎さんと再婚。
現在の留寿都村の開拓農場に入植しました。
でも、きみちゃんは結核に冒されていて体が弱く一緒に入植するのは無理だったので
函館の教会の牧師ヒュイット夫妻の養女に出されました。
かよさんと志郎さんの間に長女が誕生しました。
まもなく農場は閉鎖され、一家は札幌に移りました。
そして志郎さんは新聞社に入社。
同じ頃に入社した野口雨情さんと仲良くなります。
家族ぐるみの付き合いをする中、
かよさんは雨情さんにきみちゃんの話をしました。
「きっときみちゃんは幸せに暮らしているに違いない」
雨情さんはそんな思いを抱いて「赤い靴はいた女の子」の詩を作りました。
その頃、ヒュイット夫妻にアメリカから帰国命令が出されました。
きみちゃんは体の衰弱が激しく長旅は無理と判断され、
「体が治ったらアメリカにおいで」と東京麻布十番の教会(現在の鳥居坂教会)に預けられました。
ヒュイット夫妻は横浜港からアメリカへ帰国。
1913年、かよさんと志郎さんの間に女の子・そのちゃん(結婚して岡そのさんに)が誕生しました。
1973年、岡そのさんが、
「雨情さんの赤い靴の女の子は会ったことがない私の姉です。消息を調べてください」
と、北海道新聞に投書しました。
北海道テレビの記者が消息を調査して、その結果を本にしました。
調査の結果、きみちゃんは3年間の闘病生活の末、
麻布十番の教会(当時は孤児院)で亡くなっていました。
9歳2ヶ月の生涯でした。
きみちゃんは鳥居坂教会の共同墓地に眠っています。
墓石名は実父の苗字で「佐野きみ」となっているそうです。
母・かよさんはきみちゃんがアメリカで幸せに暮らしていると信じたまま
「きみちゃんごめんね」の言葉を残して64歳で亡くなりました。
留寿都村には赤い靴公園があってきみちゃんの銅像があります。
少し離れたところにお母さんの銅像もあります。
そして、この2つの銅像は離れているのですが、
その視線が合うように立てられているそうです。
そして清水市にはきみちゃんとかよさんが手を取り合っている母子像があります。
こんな悲話だったんですね・・・。
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